
桜三昧 水曜日 多摩地区の桜2

川井家のしだれ桜の気高い姿を堪能した後、唐木戸の道の100本しだれ桜を見ます。

山桜の豪壮で可憐な風景。
小山田緑地に足を運ぶと、また山の桜を発見。

神気はないけど、素朴でいい感じ。

山里そのものの道は歩くだけで気持ちいいです。





あちこちに可憐な桜が、、、、、
花を愛でつつ、大泉寺の参道の桜並木を見ます。
大泉寺は山号を補陀山、曹洞宗の古刹。ここに平安から鎌倉期にかけてこの地を治めていた小山田氏の城があったと伝えられています。
承安元年(1171)秩父平氏の畠山有重が小山田別当となり、小山田有重となりました。
源平争乱の時代に小山田一族は、源頼朝の家人として活躍し、平氏滅亡のあと、建久元年(1190年)頼朝初の京都入洛に際して、有重の子三郎重成、四郎重朝、五郎行重は、畠山重忠らとともに先陣の隋兵として従いました。
頼朝亡きあと、北条時政の誹りを受け、元久2年(1205年)三郎重成、四郎重朝とその子等は、将軍実朝により二俣川に於いて謀殺されてしまいます。
ここに小山田一族は離散してしまいました。
元弘3年(1333年)小山田一族の裔小山田太郎高家、新田義貞の侍大将として登場。小山田城を固守していた北條泰家の軍を追って鎌倉に攻め入り、北條一族を討滅した。ここに建武中興成る。
その後、足利尊氏が叛くに及んで、高家は湊川の合戦に奮戦の折、主君新田義貞 生田の森で足利軍の矢ぶすまに立ちつくすを見て、高家おのれの馬に乗せ奉りて、主君の危急を救い、自らは処女塚で壮烈な戦死を遂げます。
時に延元元年(1336年)5月25日と 太平記は記しています。
小山田城址と伝えられる大泉寺境内の西北の山腹に、三基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があるが、有重、行重、高家三人の供養塔といわれている。梵字の彫刻も苔むして定かではないようです。
「塔のたたずまいは、小山田の風土と永い歴史をわれわれに語りかけてやまない。然し今日、開発の波は怒涛の如く、由緒あるこの城址に逼りつつある時、ここに美しい風土に秘められた歴史の跡を偲び、併せて小山田高家公及び小山田一族の名声を末永く顕彰するためこの碑を建立する。 」
と石碑に書いてあります。
800年の長い間、陥落したり継いだりと歴史の抗う事の出来ない浪に翻弄されながらも継続していた場所は、それだけでなにか特別な美しさがこもっています。

その後尾根緑道という。何キロもある桜並木の下をずっと歩きました。
尾根緑道は昔「戦車道路」と呼ばれ、「相模陸軍造兵廠」で製造された戦車の走行試験を行ったことに由来しているそうです。
戦争の為の道路が戦後、整備され、桜を愛でるという平和の道に変容した事が素晴らしいと、桜の下でしみじみ思いました。
桜の木一本にも歴史があるのですね。


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