
1888年生まれの偉人、大石順教尼
仕事や制作の間に、1888年うまれの人を何故か調べる事が続いていました。明治21年、今から約125年も前の事です。
その中に大石順教尼という方がおられました。
大石順教尼は道頓堀付近の「二葉寿し」の次女として生まれ、幼少の頃、山村流に師事し、1899年(明治32年)、名取となる。1901年(明治34年)、堀江のお茶屋(貸座敷)「山梅楼」(やまうめろう)の芸妓になり「妻吉」と名乗り、その主人である中川萬次郎の養女となる。そこで舞を精進していたが、1905年(明治38年)、養父の萬次郎が内縁の妻に対する邪推から楼内で刀を振るい、6人を殺傷。世に言う堀江6人切りである。
事件に巻き込まれた妻吉は両腕を切断されながらも、一命をとり止めた。
この写真は惨劇の二日くらい前だそうです。

その後、彼女は地方(じかた、演奏する芸妓)に転向し長唄、地歌などを披露しつつ二代目三遊亭金馬の一座などに入り旅の巡業をはじめるようになった。

美しい方です。
この事件は凄惨です。妄想の果ての凶行です。彼女が何故両の手を切られても命があったかというと、彼女だけ逃げなかったんだそうです。
逃げた親族は首を切られたり散散だったと言います。
それでも彼女は口の中に刀を突っ込まれひとひねりされたために20カ所くらい顔も塗ったんだそうです。
気違い萬次郎(養父)は、6人を斬ると、すぐ自首した。
妻吉(大石順教尼)は高安病院へかつぎこまれ、わずかにつながっていた右手を切り離された。左手は萬次郎が一刀のもとに切り離していた。
警察からの取調べの最後に「お前は萬次郎を憎んでいるか」
妻吉は、萬次郎が自分を憎んで行ったことではないと知り、萬次郎が死刑になる身であること、これは自分の因縁があったと考えて、
「私は恨んでいない、萬次郎の骨を拾い法事もする」と申し出た。両親は気でもちがったのではないか、相手を切り刻んでもあきたりないのにと驚いたという。彼女は人を恨むとか憎むとかいうことをすべきではない、それはその人自身を苦しめるものだということです。と言ってます。
この方は、慈悲の心で、自分の両の手を刀でたたき切った養父に対し、死刑になる前に、監獄に面会に行き、義父を許し、義父の罪が軽くなるなら何でもしますと話したのです。
萬次郎から「最後の願いだ、会ってくれ」という手紙が来て、旅芸人をしていた妻吉は堀川の監獄へ面会に行った。
萬次郎は暫く沈黙していたが、「立派な舞踏の師匠にしたいと思っていたのに、両方の手を切り落としてしまい、すまないというだけでは死んでも死ねぬ。死後はあんたの霊となって守り、決して不自由させぬ」と言った。
「お父さんが護ってくださるなら、立派な人になりましょう。」といって別れたといいます。
その後いろんな艱難辛苦のたびに萬次郎の戒名をよみ、南無阿弥陀仏を唱えると「人に見えない大きな幸せが待っている、決して不幸せにならない」という信念が生まれたという。
妻吉は後に高野山に登り、尼となった。
彼女は口で字を書く技法を習得、1912年(明治45年)、日本画家山口草平と結婚、同年に長男、1917年(大正6年)に長女をもうけた。しかし、1927年(昭和2年)、夫と協議離婚し、身体障害者の相談を始める。
1933年(昭和8年)、妻吉は出家得度し、名を「順教」(じゅんきょう)と改める。以来、仏道の毎日を送る傍ら自分と同じ立場の身体障害者の世話をする福祉活動に励み、1947年(昭和22年)に佛光院を建立。また、長年培われてきた口筆による書画が入選し晩年までその道を全うした。1968年(昭和43年)、心筋梗塞により佛光院で入滅(死去)、遺体を献体した。

見てこの無邪気な御お顔。
本当にご苦労された方って、生活感のナイ、若々しいお顔されてるんですよねえ。
それをちょい苦労した人がヤッカンデひがむ。
本当に苦労された方は突き抜けます。
顔に貧乏くさいところや、苦労がみじんもないです。
これは目安になります。
もし自分が生活にやつれ臭い顔になってるのだとしたら、
貧乏や苦労に絡めとられてると思った方がいいです。
自己憐憫に酔ってるだけだと思います。
いついつまでも素敵な顔がいいです。摂理にのっとっていたらみんな美人でみんなイケメン。

彼女は述懐してます。
一口に申し上げてしまえば、私は忍びやすい人生の出発に恵まれていたのだろうと思っているのであります。
それは一つには両手を失った『無手』の身であること。一つには何も知らない『無学』なものであること。一つには、どんな人ともひとつになれる貧乏な『無財』なものであったからであります。
この三つの無形の財産が、私のゆく道に、どれだけ幸せにしてくれたであろうかを思い、しみじみと感謝しているのであります。」
彼女は言います、仏は平等に慈悲のみ手を垂れてくださる。人を呪わず、憎まず、人を愛し、己を愛すると、心が安らかになり、物質はそれとともに付いてくる・・・
この女性のこの生き方は本当の叡智を知る生き方だと思います。無学なんてとんでもない、宇宙の仕組みを凄惨な事件で踏み絵のように内奥から答えをつかんだのでしょう。
怨恨や情念よりは物事の摂理や本質に従って生き方を選択されたのです。
そして愛の生き方だとも思います。
彼女は離婚しましたが、聞けば旦那さんの女性関係だったとか、、、
しかしその相手の女性が病に伏せた時に、喉に詰まった痰を吸い取ってあげたりもしたんだそうです。
私には出来ないと思う前に、人間には誰もがこういう慈悲の心を内包しているのだと思うと、彼女が人としての先達だったと思えます。
今は大変な時代です。天地は荒ぶれ、原発は問題を露呈し、経済は揺らぎ、現象だけ追ったら厳しい時代です。
しかし明治中頃に生まれ、厳しい運命と日露戦争、第二次世界大戦から復興、高度成長、と時代の渦の中で愛と感謝と慈悲で過ごされた器の大きい女性が日本にもいらしたのです。
彼女に励まされ、怯える事なく、人生を喜んで生きたいものです
浜田澄子展
SANSUIー大地への祈りー
3.11以降、荒ぶれている天地宇宙が鎮まることを祈念し、
今回の創作を敬意と感謝を込めて大地に捧げます。
2012.7.23(mon)~7.28(Sat)
11:00~19:00最終日16:00
初日18時よりレセプションを予定しています。
中和画廊
東京都中央区銀座6-4-8 曽根ビル3F
tel&fax 03-3575-7620
http://www.chu-wa.com/</span> ">http://www.chu-wa.com/
いよいよ追い込みです。
今回は大震災以降荒ぶれる天地に作品を奉納するつもりで作ります。
よろしくお願いします!!
ご連絡、問い合わせはこちらまで。


どこからでもホームページにいけます。ご高覧くださいませ。
-
お好きなのをクリックして頂けると嬉しいです。





その中に大石順教尼という方がおられました。
大石順教尼は道頓堀付近の「二葉寿し」の次女として生まれ、幼少の頃、山村流に師事し、1899年(明治32年)、名取となる。1901年(明治34年)、堀江のお茶屋(貸座敷)「山梅楼」(やまうめろう)の芸妓になり「妻吉」と名乗り、その主人である中川萬次郎の養女となる。そこで舞を精進していたが、1905年(明治38年)、養父の萬次郎が内縁の妻に対する邪推から楼内で刀を振るい、6人を殺傷。世に言う堀江6人切りである。
事件に巻き込まれた妻吉は両腕を切断されながらも、一命をとり止めた。
この写真は惨劇の二日くらい前だそうです。

その後、彼女は地方(じかた、演奏する芸妓)に転向し長唄、地歌などを披露しつつ二代目三遊亭金馬の一座などに入り旅の巡業をはじめるようになった。

美しい方です。
この事件は凄惨です。妄想の果ての凶行です。彼女が何故両の手を切られても命があったかというと、彼女だけ逃げなかったんだそうです。
逃げた親族は首を切られたり散散だったと言います。
それでも彼女は口の中に刀を突っ込まれひとひねりされたために20カ所くらい顔も塗ったんだそうです。
気違い萬次郎(養父)は、6人を斬ると、すぐ自首した。
妻吉(大石順教尼)は高安病院へかつぎこまれ、わずかにつながっていた右手を切り離された。左手は萬次郎が一刀のもとに切り離していた。
警察からの取調べの最後に「お前は萬次郎を憎んでいるか」
妻吉は、萬次郎が自分を憎んで行ったことではないと知り、萬次郎が死刑になる身であること、これは自分の因縁があったと考えて、
「私は恨んでいない、萬次郎の骨を拾い法事もする」と申し出た。両親は気でもちがったのではないか、相手を切り刻んでもあきたりないのにと驚いたという。彼女は人を恨むとか憎むとかいうことをすべきではない、それはその人自身を苦しめるものだということです。と言ってます。
この方は、慈悲の心で、自分の両の手を刀でたたき切った養父に対し、死刑になる前に、監獄に面会に行き、義父を許し、義父の罪が軽くなるなら何でもしますと話したのです。
萬次郎から「最後の願いだ、会ってくれ」という手紙が来て、旅芸人をしていた妻吉は堀川の監獄へ面会に行った。
萬次郎は暫く沈黙していたが、「立派な舞踏の師匠にしたいと思っていたのに、両方の手を切り落としてしまい、すまないというだけでは死んでも死ねぬ。死後はあんたの霊となって守り、決して不自由させぬ」と言った。
「お父さんが護ってくださるなら、立派な人になりましょう。」といって別れたといいます。
その後いろんな艱難辛苦のたびに萬次郎の戒名をよみ、南無阿弥陀仏を唱えると「人に見えない大きな幸せが待っている、決して不幸せにならない」という信念が生まれたという。
妻吉は後に高野山に登り、尼となった。
彼女は口で字を書く技法を習得、1912年(明治45年)、日本画家山口草平と結婚、同年に長男、1917年(大正6年)に長女をもうけた。しかし、1927年(昭和2年)、夫と協議離婚し、身体障害者の相談を始める。
1933年(昭和8年)、妻吉は出家得度し、名を「順教」(じゅんきょう)と改める。以来、仏道の毎日を送る傍ら自分と同じ立場の身体障害者の世話をする福祉活動に励み、1947年(昭和22年)に佛光院を建立。また、長年培われてきた口筆による書画が入選し晩年までその道を全うした。1968年(昭和43年)、心筋梗塞により佛光院で入滅(死去)、遺体を献体した。

見てこの無邪気な御お顔。
本当にご苦労された方って、生活感のナイ、若々しいお顔されてるんですよねえ。
それをちょい苦労した人がヤッカンデひがむ。
本当に苦労された方は突き抜けます。
顔に貧乏くさいところや、苦労がみじんもないです。
これは目安になります。
もし自分が生活にやつれ臭い顔になってるのだとしたら、
貧乏や苦労に絡めとられてると思った方がいいです。
自己憐憫に酔ってるだけだと思います。
いついつまでも素敵な顔がいいです。摂理にのっとっていたらみんな美人でみんなイケメン。

彼女は述懐してます。
一口に申し上げてしまえば、私は忍びやすい人生の出発に恵まれていたのだろうと思っているのであります。
それは一つには両手を失った『無手』の身であること。一つには何も知らない『無学』なものであること。一つには、どんな人ともひとつになれる貧乏な『無財』なものであったからであります。
この三つの無形の財産が、私のゆく道に、どれだけ幸せにしてくれたであろうかを思い、しみじみと感謝しているのであります。」
彼女は言います、仏は平等に慈悲のみ手を垂れてくださる。人を呪わず、憎まず、人を愛し、己を愛すると、心が安らかになり、物質はそれとともに付いてくる・・・
この女性のこの生き方は本当の叡智を知る生き方だと思います。無学なんてとんでもない、宇宙の仕組みを凄惨な事件で踏み絵のように内奥から答えをつかんだのでしょう。
怨恨や情念よりは物事の摂理や本質に従って生き方を選択されたのです。
そして愛の生き方だとも思います。
彼女は離婚しましたが、聞けば旦那さんの女性関係だったとか、、、
しかしその相手の女性が病に伏せた時に、喉に詰まった痰を吸い取ってあげたりもしたんだそうです。
私には出来ないと思う前に、人間には誰もがこういう慈悲の心を内包しているのだと思うと、彼女が人としての先達だったと思えます。
今は大変な時代です。天地は荒ぶれ、原発は問題を露呈し、経済は揺らぎ、現象だけ追ったら厳しい時代です。
しかし明治中頃に生まれ、厳しい運命と日露戦争、第二次世界大戦から復興、高度成長、と時代の渦の中で愛と感謝と慈悲で過ごされた器の大きい女性が日本にもいらしたのです。
彼女に励まされ、怯える事なく、人生を喜んで生きたいものです
浜田澄子展
SANSUIー大地への祈りー
3.11以降、荒ぶれている天地宇宙が鎮まることを祈念し、
今回の創作を敬意と感謝を込めて大地に捧げます。
2012.7.23(mon)~7.28(Sat)
11:00~19:00最終日16:00
初日18時よりレセプションを予定しています。
中和画廊
東京都中央区銀座6-4-8 曽根ビル3F
tel&fax 03-3575-7620
http://www.chu-wa.com/</span> ">http://www.chu-wa.com/
いよいよ追い込みです。
今回は大震災以降荒ぶれる天地に作品を奉納するつもりで作ります。
よろしくお願いします!!
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